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九月の朝はまだ少しだけ、空気が重い。窓の外から聞こえてくるのは、遠くの公園で鳴き続けるヒグラシの声と、ベランダの鉢植えが風にゆれる、かすかなこすれ音。そのふたつが交互に届いてくる感じが、なんだか呼吸に似ていると思った。
「ゆらぎリズム」という言葉を知ったのは、ちょうど一年前のことだ。当時の私は、夜になっても頭の中がうるさくて、布団に入っても目が冴えてしまう日が続いていた。
サーカディアンリズムの乱れが睡眠の質を低下させる
とはよく聞くけれど、頭ではわかっていても、なかなか体がついてこない。そんな時期だった。
ゆらぎリズムとは、自然界に存在する「1/fゆらぎ」のような、規則的すぎず不規則すぎない心地よいリズムのこと。川のせせらぎ、炎のゆれ、木漏れ日のちらつき——そういうものが自律神経を穏やかに整え、ストレスを和らげてくれるとされている。完全な静寂でも、騒がしい雑音でもなく、「ちょうどいいゆらぎ」が人の体をほぐすのだ。
そのことを知ってから、私は朝の過ごし方を少しだけ変えた。
まず始めたのが、**白湯時間**だった。
白湯は体を内側から温め、体内の巡りを整えるサポートをする
と聞いて、半信半疑のまま試してみた。最初の朝、やかんでお湯を沸かして、「ルーナ・ヴェール」という北欧ブランドの小さなマグカップに注いだ。陶器の白に、ゆらゆらと立ちのぼる湯気。その湯気が朝の光の中でほんのり光って見えた瞬間、なぜかほっとした。
ちなみに、最初の一口を飲もうとしてカップを傾けたら、思ったより熱くて「ふっ」と吹き返してしまい、湯気が自分の顔にふわっと返ってきた。思わず一人で笑ってしまった。そういう、小さくて誰にも見せられない朝の失敗が、なんだか一日の始まりをやわらかくしてくれる気がする。
自分の生活リズムに合わせて毎日の一杯を続けることが、心と体に向き合うきっかけづくりになる。
その言葉の通り、白湯を飲みながら窓の外を眺める時間が、自然と「音と香りの目覚め」の儀式になっていった。外から届く風の音、マグカップから漂う温かな湯気のにおい、指先に伝わるほんのりとした熱。五感がゆっくり起動していく感覚は、アラームで叩き起こされる朝とはまるで違う。
夜間に血中メラトニンが増加すると、副交感神経が優位に保たれ、自律神経系が鎮静される。
つまり、夜に体をきちんと「夜モード」に切り替えることが、翌朝の目覚めの質にも直結している。だから夜も、ゆらぎリズムを意識するようにした。照明を少し落として、好きなハーブティーを一杯。スマートフォンを遠ざけて、ただ静かに座る。それだけで、眠りの深さがじわじわと変わってきた。
睡眠の重要性が広く知られるようになり、質の高い睡眠を確保することを重要視する人は少なくない。
けれど「質を上げよう」と力めば力むほど、かえって眠れなくなる。ゆらぎリズムが教えてくれたのは、整えようとしないこと、ゆだねること、だったかもしれない。
あの九月の朝から一年。今朝も、マグカップに白湯を注いだ。湯気が窓の光の中にふわりと消えていく。ヒグラシはまだ鳴いている。体の中心から、じんわりと温かくなっていく感覚。それだけで、今日という一日が、もうすでに少しだけ、やさしく始まっている。






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